2011年05月14日
私のインナーチャイルドの癒し
さて、本日は、私自身の中学生時代のお話です。
最近、金八先生が最終回になったのを受け、昔懐かしの
DVDが手に入りました。
私が中学の時にみていたのは、シリーズ2です。
腐ったミカンの方程式。
ご覧になった方もいるかと思います。
腐ったミカンが一つあると、その周りのミカンが
どんどん腐ってしまう。
そんな、腐ったミカンの論理を学校に当てはめ、
落ちこぼれを追い出した中学。
そして、結果その受け皿になった担任の金八先生。
当時中学生だった私は、金八先生を、毎週食い入るように
見ていました。
その頃、私の住む神奈川県では、中学二年では、通称アテスト、
という、高校の進学に大きな影響がある、アチーブメント・テストが
ありました。
そこで完全燃焼した私は、一番大切な中学三年では、
どうしても勉強に身が入らず、代わりに、ちょっと大げさですが、
人生、将来、友人、これからの学生生活、など、
いろいろな事に思いをはせていました。
まあ、皆さんそうではないかと思います。
多感な年齢、というやつです。
そんな中、嫌でも高校受験へのカウントダウンは始まっているのですが、
勉強をしながら、強い疑問を持っていました。
今、こうして、いろいろ感じる年頃に、教科書ばかり、
受験ばかりを考えなければいけないのはどうしてなんだろう?
こんなことをするのが正しいのかな?
こんな教育は間違っているんじゃないか?
自分が大人になったら何かを変えないと、また
こうした仕組みの犠牲者が増えてしまう。
こんな論理的に考えたかは分からないのですが、
これに極めてにた感情を抱いていたのは、今でも
はっきりと覚えています。
こんな生意気を考えていましたが、そもそも、私は、
中学までは勉学でも落第生で、しかも問題児だったので、
自分では、こういった考えが、単に勉強からの逃避か、
それとも一理ある考え方か、定かではありませんでした。
でも、一つ感じていたのは、金八先生をみている時に
感じる、
「これだ!こういう話を聞きたかったんだ!」
という感覚。
こうして、正面から向き合ってくれる先生と
出会いたかった!
こうして、生徒の全てを見てくれる先生と
出会いたかった!
こうして、人生をどう歩んでいいか、勉強以外の
話をしてくれる先生と出会いたかった!
こんな感覚を、金八先生を見る度に思っていたのを
思い出します。
ちなみに、ですが、今思い出してみても、中学時代の
先生は、そんな悪い先生ではありませんでした。
いや、平均より、良いのではないかと思います。
それに、その後の私に影響を与えてくれた、素晴らしい
副校長先生もいました。
ただ、あの当時は、仕組みとしての受験制度が、
先生さえも忙しくさせてしまったのかも知れません。
さて、そんなある日、理解のある先生の一人、と
信頼していた先生に、金八先生の話をしました。
先生にも、金八先生をみているか聞くと、みていないと
言います。そこで、是非見て欲しい、そして、こんな
クラスになったらいい、と私なりの思いを話してみました。
すると、その先生はこう言いました。
「いやいや、昼間さんざん学校で過ごして、家に帰ってまで
学校の番組なんて、冗談じゃない。とても見る気がしない。。」
ちょっと、ショックでした。
え、先生は、学校が嫌いだったの?
学校は、いやいや来ていたの?
そりゃ、テレビ番組かも知れないけれど、その中のメッセージで、
何か真実を感じて、それを分かち合えたらと思ったけれど、
むげもなく断られてしまった。
当時は、そんな風に感じたのを覚えています。
その後も、学校という仕組み、日本の受験という仕組みには、
ずっと疑問を抱いていました。
そして、何らかの形で、この思いを、形にして、自分なりの
真実を伝えたいと思っていました。
さて、今思えば、金八先生で、どうして自分がこんなに反応したか、
魂が躍動したか、分かる気がします。
魂レベルでは、今私がしている仕事をするのを知っていて、
そして、魂に届くメッセージに、若いからこそ、敏感に
反応したのだと思います。
今私は、ちょうど、30年前に見ていた番組をDVDでみながら、
その当時を振り返っています。
人生って、面白いですね。
また一つ、自分中に眠っていた、癒したいインナーチャイルドを見つけました。
金八先生が、
「おまえ、どうしたんだよ?」
と、生徒に聞くシーンが、番組で幾度となく出てきます。
その言い方が、優しいんですよね。
責めているのではなく、その生徒を心から信じている、
愛をベースにした聞き方なんです。
こんな聞き方をされると、誰でも心を開くと思います。
愛は、30年の時を超えて、普遍の力があるな、と、
改めて思いました。
金八先生、ありがとう。
最近、金八先生が最終回になったのを受け、昔懐かしの
DVDが手に入りました。
私が中学の時にみていたのは、シリーズ2です。
腐ったミカンの方程式。
ご覧になった方もいるかと思います。
腐ったミカンが一つあると、その周りのミカンが
どんどん腐ってしまう。
そんな、腐ったミカンの論理を学校に当てはめ、
落ちこぼれを追い出した中学。
そして、結果その受け皿になった担任の金八先生。
当時中学生だった私は、金八先生を、毎週食い入るように
見ていました。
その頃、私の住む神奈川県では、中学二年では、通称アテスト、
という、高校の進学に大きな影響がある、アチーブメント・テストが
ありました。
そこで完全燃焼した私は、一番大切な中学三年では、
どうしても勉強に身が入らず、代わりに、ちょっと大げさですが、
人生、将来、友人、これからの学生生活、など、
いろいろな事に思いをはせていました。
まあ、皆さんそうではないかと思います。
多感な年齢、というやつです。
そんな中、嫌でも高校受験へのカウントダウンは始まっているのですが、
勉強をしながら、強い疑問を持っていました。
今、こうして、いろいろ感じる年頃に、教科書ばかり、
受験ばかりを考えなければいけないのはどうしてなんだろう?
こんなことをするのが正しいのかな?
こんな教育は間違っているんじゃないか?
自分が大人になったら何かを変えないと、また
こうした仕組みの犠牲者が増えてしまう。
こんな論理的に考えたかは分からないのですが、
これに極めてにた感情を抱いていたのは、今でも
はっきりと覚えています。
こんな生意気を考えていましたが、そもそも、私は、
中学までは勉学でも落第生で、しかも問題児だったので、
自分では、こういった考えが、単に勉強からの逃避か、
それとも一理ある考え方か、定かではありませんでした。
でも、一つ感じていたのは、金八先生をみている時に
感じる、
「これだ!こういう話を聞きたかったんだ!」
という感覚。
こうして、正面から向き合ってくれる先生と
出会いたかった!
こうして、生徒の全てを見てくれる先生と
出会いたかった!
こうして、人生をどう歩んでいいか、勉強以外の
話をしてくれる先生と出会いたかった!
こんな感覚を、金八先生を見る度に思っていたのを
思い出します。
ちなみに、ですが、今思い出してみても、中学時代の
先生は、そんな悪い先生ではありませんでした。
いや、平均より、良いのではないかと思います。
それに、その後の私に影響を与えてくれた、素晴らしい
副校長先生もいました。
ただ、あの当時は、仕組みとしての受験制度が、
先生さえも忙しくさせてしまったのかも知れません。
さて、そんなある日、理解のある先生の一人、と
信頼していた先生に、金八先生の話をしました。
先生にも、金八先生をみているか聞くと、みていないと
言います。そこで、是非見て欲しい、そして、こんな
クラスになったらいい、と私なりの思いを話してみました。
すると、その先生はこう言いました。
「いやいや、昼間さんざん学校で過ごして、家に帰ってまで
学校の番組なんて、冗談じゃない。とても見る気がしない。。」
ちょっと、ショックでした。
え、先生は、学校が嫌いだったの?
学校は、いやいや来ていたの?
そりゃ、テレビ番組かも知れないけれど、その中のメッセージで、
何か真実を感じて、それを分かち合えたらと思ったけれど、
むげもなく断られてしまった。
当時は、そんな風に感じたのを覚えています。
その後も、学校という仕組み、日本の受験という仕組みには、
ずっと疑問を抱いていました。
そして、何らかの形で、この思いを、形にして、自分なりの
真実を伝えたいと思っていました。
さて、今思えば、金八先生で、どうして自分がこんなに反応したか、
魂が躍動したか、分かる気がします。
魂レベルでは、今私がしている仕事をするのを知っていて、
そして、魂に届くメッセージに、若いからこそ、敏感に
反応したのだと思います。
今私は、ちょうど、30年前に見ていた番組をDVDでみながら、
その当時を振り返っています。
人生って、面白いですね。
また一つ、自分中に眠っていた、癒したいインナーチャイルドを見つけました。
金八先生が、
「おまえ、どうしたんだよ?」
と、生徒に聞くシーンが、番組で幾度となく出てきます。
その言い方が、優しいんですよね。
責めているのではなく、その生徒を心から信じている、
愛をベースにした聞き方なんです。
こんな聞き方をされると、誰でも心を開くと思います。
愛は、30年の時を超えて、普遍の力があるな、と、
改めて思いました。
金八先生、ありがとう。